私は人を差別なんてしない!ですか? でも、実は、生まれながらに高貴な方がいるのだと認める私の心にこそ差別の心があるのだと教える

住井すゑ『橋のない川』全6巻+第7巻(新潮文庫、新潮社)読み終えました。

住井すゑさんがこの作品を発表していた頃、私は同時代を生きていたから、作品名は知っていたが、今まで読まずにきた。映画もあったらしいが、見逃してきた。友達が、このたび読ませてくれて、半ば強制的に読み始めて、読み進むうちに、日本という国の近現代の歴史を学ぶことになった。

日本の小学校は明治に始まった。

大日本帝国という国が私の生まれる前にあったねと、思い出させる。

小学校の教育では、子供たちに徹底的に、日本には高貴なお方があるのだと教えた。小学校教師を養成する大日本帝国の師範学校では「教師たる者、自分の権威に対して、生徒に従わせしめよ」と教師を養成した。

小学校の小さな教室で一人だけ大人の教師は生徒たちに権威を振るった。そのようにせよと、師範学校では教えたのだ。日本には天皇さまがある。その天皇さまから免状をいただいて生徒の前にいるのだ。先生は生徒が従うべき偉い人だと教える。それが日本の小学校だった。

戦前の小学校では天皇陛下のお写真と教育勅語を恭しく敬礼して保管し教師たちは行事のたびに首を垂れて敬礼していたから、とにかく高貴なものへの恭順を示す態度を自らも整え、子供にも教育した。その態度の裏返しが、身分の卑しい者へのあからさまな差別だった。「被差別部落」に生まれることが生まれながらに卑しい身分として観念されるのは、皇室に生まれることが生まれながらに高貴と観念し、そこに頭を垂れるのとコインの裏表だと、住井すゑは、問いかける。

ところで「雀の学校」と「めだかの学校」の歌を知っていますか?最近の子供たちは知らないかもしれないね。

『チイチイぱっぱ、チイぱっぱ、雀の学校の先生は、鞭をふりふりチイぱっぱ。ちいちいぱっぱ、ちいぱっぱ。』

めだかの学校は水の中、誰が生徒か先生か、誰が生徒か先生か、みんなでお遊戯しているよ。』

あなたはどちらの学校が好きですか?

大日本帝国は雀の学校の教師を養成した。それは戦争をする国づくり。だから、敗戦を機に、大日本帝国は終わり、再出発をした。日本国憲法と教育基本法では、生徒ひとりひとりの持って生まれた能力を引き出す教育を目指してきたから、めだかの学校で個性が伸びると考えていた。ところが、77年経つうちに、段々と、戦後民主主義は消されていって、いつの間にか雀の教師ばかりになってきた。子どもたちから自尊心が消え、個性が消えていくとしたら、権威に従う人間を育てているとしたら、まさにその通りだろう。

住井すゑさんが橋のない川で書いていたのは、貧しい人々被差別部落の人々の、心豊かな日常だ。学校教育に縁がなく文盲である祖母や母がいた。住井すゑさんは書いた。文字は読めなくてもその人たちがいかに物事をよくわかっているか。自然界について、あるいは人間界の真実をよく知っている。それは、考えてみれば、人間は自然の一部分であり、日々繰り返す自然の営みと共にある生活の長い年月が教えてくれることから学んでいるのだ。

日本人に天皇陛下は神聖にして侵すべからずな高貴な方だと教え続けたのが明治以来の77年間だった。住井すゑさんが小学校3年の時に起きた大逆事件。幸徳事件が起きた時に、学校では全校生徒を集めて校長が訓示をした。校長の言葉は『幸徳秋水は悪い奴で、天皇に爆裂弾を投げようとした。金持ちと貧乏人のない世の中を作ろうとした。日露戦争に反対した。』しかし、それを聞いた子供の心に別の化学反応があった。「私の考えることと同じことを考える男がこの世の中にいたんだなと、もう胸がワクワクするように嬉しかったです。」

作品の中では「幸徳秋水、名は伝次郎」と心にこだまして素晴らしい人に出会った喜びが描かれている。「ところがしばらくしたら裁判にかけられて十二人いっぺんに死刑。その死刑の話を教室で聞かされたときには涙が出てきて・・私は生涯かけて仇を討ってやるからな、幸徳秋水、だから安心して死んでくれと、子供心に祈りを捧げた・・」もちろん、爆裂弾のことは、全くの冤罪であった。住井すゑを感動させたこと、日露戦争に反対し、金持ちと貧乏人のいない世の中を作ろうとした、その言論活動が憎まれたのだった。

人間は皆、同じなのだ。同じように赤ん坊で生まれ、歳をとれば同じように死んでいく。しかしそれは当たり前のように思われるのだが、私にとっては当たり前ではなく、私は本を読んで学ばなければ、自信を持ってそうは書けなかっただろう。私たちの生きている時代は、まだその価値観を共有していない。私の思考はその現実の方から形成されてきた。住井すゑさんの理解から見ると実は、その現実の方が本当は間違っていること、さらに私たちはこの間違いをいつか正していかないと、戦争という大きな暴力が私たちの世界を覆う時代を招来すると警告された、そのことを思う。

住井すゑさんは、日本国憲法は、このままではダメだと言っておられる。その言葉を私は重く受け止めている。

どの憲法も、その国のお国柄を知りたい場合は、第一条をみればいい。その第一条に一番大切なことが書いてあると、どこかで読んだ。日本国憲法の第1条には天皇は国の象徴であり、その地位は世襲であると書いてある。住井すゑさんから見ると、幸徳秋水を殺した日本社会の根本が無傷で残ったことの衝撃であって、せっかく敗戦したのに、なぜ社会が変わらないのかと、絶望した。それはつまり言葉では、民主主義、国民に主権があると、書いてあるけれど、生まれながらに高貴な人が世襲で存在する国であるので、それが規定されていれば国民は主権者にはなれず、新しい憲法への失望しかなかったのだろう。

住井すゑ「90歳の人間宣言」から日本国憲法への思いと、金森徳次郎に尾崎咢堂が語った言葉が引用されている部分。憲法が国民の生活を規制する力を持っている以上、もっと民主憲法にしていかねばならないとの言葉が語られている。