塚原久美『日本の中絶』世界標準から大きく取り残された日本の現在地

2022年、ちくま新書//

ここに記録すべきは、世界の中絶技術の変遷だろう。塚原久美さんの「中絶手術の歴史」は一読に値する。

19世紀後半に、第一次中絶革命があったと、認識する。19世紀後半には、医療技術の発達によって、ようやく人類は、何千年もの歴史で行われてきた様々な方法に比べてはるかに安全かつ確実に妊娠を終わらせる方法を手にした。医療器具、消毒、麻酔によって、中身を外科的に除去することが可能になった。

日本も、この技術を学んだ。産婦人科の医師が外科的に妊娠を終わらせる。その技術の中心は、掻爬手術。現在でも1948年の優生保護法を改定して1996年に制定された母体保護法によって、刑法堕胎罪が基本的に中絶を犯罪としながら、一部の中絶が非犯罪化された。この母体保護法によって、医師の認定による人工妊娠中絶を医師会指定の医師(指定医と呼ばれる)は、行うことができる。20世紀後半の日本では既婚夫人はその夫の了解のもとに、経済的に育てることが困難という事情で、中絶手術を受けてきた。が、その手術の方法は、2023年の現在もなお、相変わらず、この指定医師たちによる掻爬手術である。塚原さんは、この方法に疑問を呈している。

世界に目を移そう。第二次中絶革命の時代がやってきた。それは、1970年代のことだ。西洋諸国で次々と中絶が合法化された時代だ。

合法化された西洋の医師たちは安全な方法を求めて交流した。ロンドンのボッツ医師は、ユーゴスラビアで電動ポンプとカニューレで5分で子宮内容物を摘出する技術に出会った。さらに世界を歩き、1970年にNYでハーヴィー・カーマンと出会う。大きな注射器と小さなプラスチック製カニューレ、最小限の不快感で子宮内容物を排出する方法を生み出した。柔らかいカーマン式カニューレを使った手動吸引法(MVA「至極常識的な発明」「とっても簡単で、二回もやれば誰でもマスターできる」この吸引法は瞬く間に世界中で採用された。柔らかいカーマン式カニューレは、プラスチック製で使い捨てであった。使い捨てであるから、感染症の危険がない。

でも日本では、今でも、吸引法を採用あるいは併用する医療機関の場合でも、医療機関の説明では「吸引法は感染症になりやすいから掻爬法を選択した方がいい」と看板に書いている。感染症になりやすいと心配するのは、医療機関にとって経費となる使い捨てのプラスティックのカニューレではなく洗って使い回す金属製を使用する医療機関が多いのだろう。

第三次中絶革命は1980年代末から始まった。フランスで人工流産薬(ミフェプリストン)が開発され、子宮収縮剤と併用することで、妊娠初期なら96%安全に中絶ができることが確認された。ミフェプリストンの作用で妊娠を維持する黄体ホルモンが抑制され妊娠が終わり、胎盤が子宮内膜から剥がれ落ちる。その1~2日後にミソプロストール(子宮収縮薬)を使用することにより妊娠組織を排出する。この内科的中絶は12週未満なら95%以上の確率で成功する。2000年までに世界20ヵ国で承認、2021年10月時点で82ヵ国・地域が承認している。

この第三次中絶革命により、外科的手術を受けなくても、内科的に自然に妊娠を終わらせることができるようになったのだ。

WHOは2003年に『安全な中絶』ガイドブックを発行した。この中では、妊娠初期は吸引法と、妊娠9週までに限って中絶薬(ミフェプリストンとミソプロストールのコンビ)を用いる内科的中絶の二つが安全な方法とし、掻爬法は安全な方法が使えない場合の代替法に位置付けた。2012年の『安全な中絶 第二版』では、「掻爬法は古く廃れた方法」と位置付けた。2015年には中絶薬(ミフェプリストン)をWHO必須医薬品補完リストに収載し、2019年には必須医薬品コアリストに収載した。2018年『中絶の内科的管理』ガイドラインを発表。「医療従事者の直接的な監視下でなくても、本人だけで安全に中絶薬を服用することも、中絶後に本人が自分で検査薬を使って妊娠の継続の有無を判定することも可能だとした」

2020年3月、コロナパンデミック下、画期的変化が起きた。

2020年3月27日世界的ウェルビナー専門家会議、数千人の専門家の視聴を経て、3月30日国際産婦人科連合は、パンデミック下での中絶薬のオンライン処方と自己管理中絶は感染リスクを減らし医療への負担を減らす方法だとして、推奨する旨を発表した。

国際婦人科連合(FIGO)はコロナ禍の緊急対応としてオンライン診療で中絶薬を処方し、本人に自宅で服用させる「自己管理中絶」を推奨した。さらに2021年3月には、自己管理中絶を恒久的に推奨するとした。オーストラリア、イングランド、ウェールズで検証した結果、安全性が立証されたとエビデンスに基づいて推奨されるようになった。自己管理中絶とは、中絶を求める人が電話やインターネットを用いて医療専門家のオンライン診療を受け、オンラインで薬を処方してもらう遠隔医療によって薬を自宅で受け取り、自分の裁量で服用して、その結果を自分で見極めて医療サービスを要するかどうかも自分で判断するというものです。

塚原久美さん「100年以上前の歴史的産物である掻爬はもはや百害あって一利なし。現代の中絶は、特殊な訓練を受けた専門の医師たちが独占しなければならないような危険な処置ではなくなっているのです。」

この本を読んで、私は考えました。「さあ、日本はどうするのでしょう。」まだ、刑法に堕胎罪があるので、簡単に自己管理中絶を行うことは無理でしょう。さらに、日本の産婦人科医師たちは、ドル箱である中絶手術掻爬法を簡単に手放さないでしょう。赤ちゃんの出生も減少し、中絶手術も必要なくなるなら、儲かる道がほぼ絶滅するような事態です。ミフェプリストンの薬価を手術の料金と同等にしようと彼らは語ったことも記憶しています。

私たちの子宮の中では、毎月、妊娠できずに着床しなかった卵子は、生理の出血として体外に排出されます。ミフェプリストンの黄体ホルモン抑制効果で一旦着床したはずの卵子が子宮内膜から剥がれ落ちる。子宮収縮剤は出産経験のある女性なら誰もが処方されたでしょう。その収縮作用によって子宮内の妊娠組織が排出される。あまりに合理的な処方に「素敵」と声をあげたくなります。着床したはずの卵子も、着床に失敗した卵子が排出される時と同じ、生理の出血。私は自分自身が体質上、生理の症状は大変重く、出血も大量で、苦しかったものです。その卵子の成長を受け入れられない事情のある女性にとって、重い生理とほぼ同じ出血で管理できるなら、21世紀の女性たちは、妊娠も出産も自己管理しながら、人生を充実させて生きることが可能になったと、喜ばずにはいられません。男たちに管理され産ませられ人生を支配される時代は終わる。もちろん、日本は世界で最後になるかもしれません。ピルの解禁は1999年で国連加盟国・地域で最後だったそうです。それも、バイアグラがすぐに承認されたことに抗議してやっと認められた歴史があるそうです。

日本はまだまだ、遅れていますが、塚原さんのおかげで、世界の常識を知ることができたので、この知識は、女性たちにとって武器になるでしょう。