ウクライナor ロシア:どちらが正義か?の問いそのものを問うフェミニズムの視点について教えられた。

『現代思想』6月号臨時増刊号(青土者2022年)で高柳聡子さん(ロシア文学研究者・翻訳者)がロシアのフェミニストの活動を紹介「フェミニストはなぜ戦争と戦うのか」さらにアジア女性資料センターの機関紙F/visions, No5の高柳論文を読みました。

今年2月24日以降、日本の新聞・ラジオ・テレビは、全てがロシアを糾弾、対するウクライナは正義、ばかりの言論だった。米国がイラクを一方的に攻撃した20年ほど前には、この国のメディアはアメリカを糾弾してイラクをかわいそうなどと騒がなかったので、その当時のことを思い出すと一体、何事が起きているのか面食らっていた。そしてある時「元スイス戦略情報部員 ジャック・ポー氏のインタビュー記事」というものを送ってくれた人があった。そこには驚くべきことが書かれていた。

つまり、3月ごろにゼレンスキー大統領が和平への歩み寄りを見せたときに、ウクライナ軍関係者が「和平するならあなたの命はない」と大統領を脅した。そのために和平は頓挫したと証言されたのだ。

この話が本当なら、ウクライナ大統領のゼレンスキーは自国の軍隊を掌握できていないという恐るべき事態なのだ。戦争がしたくてたまらない戦争好きの男たちが世界中からウクライナに集まってきて、戦っているという噂はあながち、ないことでもなかったようだ。

日本の報道機関は、ウクライナ発の情報を一方的に信じ報道し、さらにロシア発の情報を一方的に「嘘だ」と決めつけるという事情の中で、私にも反ロシアの感情が最初に喚起され、その後、この戦争は西側が仕掛けた面もあるのだと知ると確かに、ロシアの言い分にも理があるのかと思わされ、「どっちなんだ」などと混乱した。

ところが、ロシア文学研究者の高柳聡子さんが書かれた記事、ロシアで反戦活動をしている女性たち、フェミニスト反戦レジスタンス(FAR)のマニフェストを知り、重大なことに自分は気がついた。「正義」はどちらにあるのか?の議論に、巻き込まれてはいけないのだ。どちらの国も戦争を選択する国家だったことがこの事態を招いたのだということをまず知るべきだった。

戦争が目の前にある時に、正義がどちらにあるのかの議論は、常にある。なぜなら、どちらの軍隊も「自分は正しい。相手が間違っている。」という立場で戦争をする。事情を知りたがりの私たちはどっちが正しいのか「侵略したロシアはどっから見ても悪い」「ウクライナに軍事支援を求めさせ自国の武器産業を儲けさせると同時にロシアを弱体化させる西側の戦略は悪くないのか」などと振り回され、評論家になった挙句、しかし結局、この世界、最後は「勝った方の言い分が正しかった」ことになるのだよなと諦めている。

「どっちが正しいのか」議論するのは、人々は戦争を前提として「どちらかが正義だ」と思うからだろう。でも本当に、どちらかが正義なのか?

目指しているのは、暴力のない未来

プーチンのロシアは、2017年の法改正により、家族や近親者による暴力行為は、よほどの大きな障害又は死に至らなければ刑法上の「暴力」とみなされなくなった。つまりDVは警察に通報しても事件として扱われなくなった。このためフェミニズム運動が盛んになり、被害者の保護やシェルター、ホットラインの設立などフェミニズム団体によりアクチュアルな問題が取り組まれてきた。この運動の経験に続いて、この度の戦争という現実があった。

FARによれば、プーチン指揮下で行われているこの侵略戦争は〈伝統的な価値観〉に依拠し、それに同意しない者は暴力で制する思想のもと行われている。

ロシアの国会で現在(2022年8月)議論されている法案があって、それは「子を持たぬ価値観禁止・法案」という。伝統的な子育てカップルだけが家族であって「子供を持たなくても二人で幸せ」という価値観を広めるものは罰するというこの法案は、この秋には可決され成立する見通しだと新聞(2022年7月30日中日新聞7面)が書いていた。

この思想は、従来の家父長制家族の枠におさまらない生き方を選択する人々には大きな脅威だ。これは弱いものへの暴力であり、この暴力を容認する延長線上に、ロシア社会が手を染めたのがこの度の戦争という事態であり、「戦争というこの大きな暴力」に対して反対の意思を表明するのがFAR(フェミニスト反戦レジスタンス)の行動だ。

「私たちは戦争に反対する。家父長制に、独裁政治に、軍国主義に反対する。私たちは未来である。私たちは勝利する」マニフェストは、このように結ばれる。「戦争」は「男性的なるもの」の集積である。このことが現実的に理解された。暴力のない未来を創り得るのは自分たちなのだとフェミニストが確信した瞬間。

反戦アクション「静かなピケ」

法に触れぬように、一人で静かにメッセージボードを持って公衆の場に立つ。SNSに投稿するなどして各人が自分の都合のいい時間と場所で持続可能な活動を広げる。メッセージの書かれた衣類を着てモスクワの地下鉄に乗る。などの活動が行われていた。

しかしロシア政府は3月4日、公的な場所で「戦争」にまつわる言葉を発言・表示することを法的に禁じた。

そこで今年は、3月8日の国際女性デー、ロシアではソ連時代からこの日は国家の定めた休日=非労働日である。女性たちのために国家が定めた休日を女性たちが拒み、祝日の意義を「女性に日頃の感謝捧げる日」ではなく「花は女性にではなく戦没者の記念碑に供えるように」祝日の意義を書き換える運動をした。3月18日のクリミア併合8周年の記念日にもフェミニストたちは「ウクライナでの戦没者を悼む日」にするとして喪服を示す黒衣で街頭にでる「women in black」を実施した。そして、この黒衣を着て街頭に立つアクションはその後も継続して今も取り組まれている。

日本の私たちはここから何を学ぶのか

一方的な侵略という事情ではないのだ。ウクライナも十分に好戦的であった。そして、ロシアにも負けないほどの男性社会でもあった。暴力を容認する社会がより大きな暴力「戦争」へとつながり戦争後にも兵隊たちのPTSDへとさらに引き継がれてさらにDVに苦しむ社会へとつながる。

自分達が暮らしていた社会に戦争につながるような暴力が潜んでいたことを知ったロシア女性たちの気づきは、日本人にとって他人事ではない。

安倍元総理が、ある一人の統一教会信者の息子によって銃撃・殺害された事件は、隠されていた日本政治の秘密を目の前に展開させた。教会の新しい名前は、統一教会の名前に家族という言葉を入れ、世界平和を冠したものだ。世界平和は目眩しの枕詞。家族の価値を述べるその思想は、プーチンと瓜二つだ。自民党の政治家が、票と運動員欲しさに、選挙に勝つためにこのようなカルトと手を組んでいつの間にか価値観を共有していたなど、暑い夏のお化け屋敷の恐ろしさだ。伝統的家族の価値観とは、教育勅語に語られた思想と重なる。「夫婦相和し」と述べたその心は、妻は夫に従い異論を述べないで夫婦円満だとする価値観に過ぎない。「兄弟相和し」とは弟は兄に従うと述べたものだ。大日本帝国憲法ではその価値観で人々は統制されたが、日本国憲法には24条、夫と妻の家庭生活における個人の尊厳と両性の本質的平等を規定している。妻は夫に従う古い価値観とは相容れない。女は男に支配されるのではなくお互いを個人として尊重し愛し労わる結婚生活を規定している。支配と服従は暴力の温床になる。憲法改正は、よくよく吟味されなければならない。と思う次第。