ダグラス・ラミス「ラディカルな日本国憲法」

憲法は国民の手中に置かれた武器である。この武器で民主主義を樹立することは可能である。その実現は今後に残されている。」ダグラス・ラミス『ラディカルな日本国憲法』株式会社晶文社、1987年

権力奪取としての憲法

 日本国憲法は、中央政府とくに天皇からの権力奪取を体現する。それは非常な勢いで。最初の41か条はすべて、第10条と第30条をのぞき、中央から権限を取り去ることに集中している。天皇から奪われた権限は、選挙された政府に与えられ、内閣から奪われた権力は国会に与えられ、政府そのものから奪われた権力は国民に与えられる。最初の40か条は、政府が持たない権限の詳細なリスト。政府がどのような権力を有するかの議論は第41条から始まる。

 歴史的にはこの権力を日本政府から奪取したのは米軍である。米国は日本政府の権力を弱めるために太平洋戦争を戦い、その目標を憲法の中に制度化した。占領軍当局は、この権力奪取において、少なくとも憲法が書かれ発布された時期の重要な一年目では、日本の国民を同盟者とみなした。この憲法を偉大なものにしているのはこの事実である。

 米国人一般の意識では、太平洋戦争の敵は日本の政治体制というよりはむしろ、日本人であった。しかし戦争中の人種主義を占領当局は政策の基盤にしなかった。彼らは政府と国民をはっきり区別し、企業、軍隊、政府の権力を打破するという彼らの政策を、国民は支持するだろうという仮定に立って行動した。

 米国の占領は当初、政府から権力を奪取する企てにおいて日本国民を同盟者であると考えた。そして、この事実は、憲法の体系に組み込まれた。

 憲法は権力の奪取であり、力で交付された。これをどう評価するかは、政府の立場からみるか国民の立場から見るかによる。憲法が行っているのは、政府から権力を奪い、それを国民に引き渡すことである。これを日本国民は支持しそれに参与した。日本国憲法は日本政府から国民への現実の政治権力の委譲である。全体として政府はこの委譲に抵抗し国民は支持した。それは実行され、憲法として具体的に表現された。

こうしたすべては占領当初の熱烈な数カ月間に起きた。これは重要な点である。占領軍高官たちは後で自分たちがやったことを後悔しただろう。 ―第9条を悔やんだように―

1946年5月の大衆デモにマッカーサーは警告を発し、47年2月にはゼネストを禁止した。この事実は占領当初の指令に違反している。政府を弱体化させるため日本国民を同盟者扱いするという占領軍の当初の政策が急速に変わりつつあったことを意味する。だがすでに憲法は交付されていた。占領軍当局は自らの行いを悔やんだだろうが、時すでに遅すぎた。

1947年までにGHQは同盟相手を国民から政府に移し中央集権を回復させた。今や米軍としっかり手を結んだ日本の旧支配層が、引き続き権力を維持しうる政治的社会的経済的条件を作り出した。さらに日米安保条約を1952年の平和条約の条件とした。(これは日本の外交政策の決定権を実質的にワシントンに引き渡すことであった。安保条約は、憲法の修正条項と考えるべきである。

憲法が完全に実施されたことは一度もない。1952年まではGHQが最高権力であった。1952年には、すでに安保によって浸食されていた。この憲法の大原則である国民主権は、今に至るまで実現していない。歴史的実践の中で国民主権を確立する最小限の条件は、国民の意思によって政府の権力を一つの政党から他の政党へ委譲することである。このような政権委譲も日本では今まで一度も実現していない(出版年は1987年である)。憲法は国民の手中に置かれた武器である。この武器で民主主義を樹立することは可能である。その実現は今後に残されている。

第九条

この戦争の時代、国家に軍事力保有を禁ずるのは、銀行にカネの受け取りを禁ずる、食肉加工業者に動物の屠殺を禁ずるようなものだ。第九条は国家とは何であるかについての近代的概念全体をつき崩す。

憲法が何を言おうと、国民の自衛権は奪うことはできないという主張は、否定しえない。自分を守る権利は、生き物としての我々の肉体的本性であり、生きる権利と同じくらい基本的な権利なのだ。だが、第九条は、国民の自衛権を奪うとは一言も言っていない。自衛権を奪いうるというのは、この憲法の根本原理である国民主権を全く誤解することになる。この憲法は、国民の権力ではなく政府の権力を制限するために書かれている。これは国民に対する命令ではなく国民による命令である。この憲法が国民の自衛権を奪うというなら、憲法が国民よりも上位にある権力だということであり、そんなことはありえない。第九条は「国民の自衛権」を否定していない。この権利は不可侵である。第九条が否定するのは「国家の軍事力」である。国家は「奪うことのできない権利」などは持たない。それを持つのは国民のみだからである。

第九条はこう述べる「日本国民は、・・国権の発動たる戦争・・は永久にこれを放棄する」この文章は「日本国民は自らの主権としての戦争を永久に放棄する」とは言っていない。つまり、民権としての自衛権は、放棄されてはいないのだ。(民権としての自衛権は、政府に対する自衛権を意味する場合もあるだろう)そしてこの原理は、憲法前文にはっきり述べられている。「日本国民は・・平和を愛する諸国民・・に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と述べている。「平和を愛する諸国家」とも「平和を愛する諸政府」とも言っていない。そんなものはないことは言うまでもない。

 国権としての自衛権を撤廃し、民権としてのそれは保持するとは、実際には何を意味しうるだろうか。三つの答えが考えられる。第一に、国民は自らを直接防衛する権利を持つ。(私はなにも憲法がこうした方法を擁護しているというわけではなく、禁じてはいないと述べている)第二に、国民は常に憲法を修正し9条を御破算にする権利を保持する。(そうしないと自衛隊は違法なのである) 第三に、これが憲法の意図であることははっきりしているが〔世界平和運動の先頭に立ち、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占める国民〕は〔膨大な軍備を抱え込む国の国民〕よりも安全であると信じることによって、国を守る道を探りうるという答えである。

これらの答えは、現代の常識に反する。だが、現代の常識は筋が通っているか。

広島と長崎への原爆の投下は国際社会に狂気を持ち込んだ。この根本的狂気を認識せずにこの問題を取り上げても、その狂気が複雑になるだけだ。つまりそれはどういうことかといえば、例えば、1979年のカーターとブレジネフのソルトⅡ(核弾頭削減条約)調印。全世界はこれを偉大な平和な行為であると称賛した。その時に『ジャパンタイムズ』紙はサブタイトルに「広島十万個分の核弾頭が許可に」とつけるだけの勇気を持っていた。

「国家が安全の保障人だという幻想、現代国家は他の現代国家の攻撃にたいし自国の国民の生命と財産を全く防衛しえない。その国家がなしうるすべては、的確な報復・・」このような全体的視野から見ると、日本国憲法の第9条は、広島・長崎以後の国際政治の新たな現実を示す最初の、そして最高の表現である。ここで示された原理は、感傷的な平和主義ではなく厳しい現実である。核時代に在っては、国家の軍事力は国民を守るには無力なのである。国家の軍備拡充に安全の望みをかける人たちは、新しい状況の本質を全く理解していない。

第九条のなぞの一つ、幣原とかマッカーサーといった男たちによってどのように生み出されたのか、彼らの胸の奥底の動機はわからない。しかし重要なのは最初に誰がこの言葉を書いたのかではなく、それが書かれた時と場所である。終戦直後の数カ月、日本全体を覆った雰囲気を表現している。その時、核爆発の余韻は未だ消え去らず、焼け焦げた死体の臭気がまだ立ち込めていた。核戦争という途方もない不条理と一切の軍事力が核戦争の防衛としては全く無価値であること、新たな時代の真の性格が初めてその姿を見せたのがこの時、この場所であった。当時、第九条は日本のほとんどすべての人にとって当たり前のことに思われたに違いない。第九条は、あの歴史的瞬間の雰囲気を固定したものであり、今日一層正しさを増す真理を保存したのである。

しかし第九条はまだ一度も実践されていない。

1945年以来一貫して日本の「安全と生存」は、核の傘を含む米軍の保護のもとにあった。もし日本国民が政府に対して第九条を拘束力のある法として施行せよと迫るならば、それは自衛隊の撤廃、安保廃棄を意味し、世界中の国民は愕然として、全く新しいかたちの希望を与えられるに違いない。同じ目標の運動が他の諸国で出現するだろう。その時、日本が軍事攻撃から安全であろうとは誰も保証できない。国際政治に保障など何一つないのだ。しかし今に比べれば、つまり攻撃目標とされる米国の軍事基地を持つ現在よりは、確実に安全である。もし第九条が文字通り実行されるなら、日本に軍事攻撃をかけることは国際赤十字の本部を攻撃するよりも難しくなるだろうに違いないから。