オーバビーさん(Dr. Chuck M. Overby)をしのぶ会

オゾン憲法カフェ共催
2018年3月31日(土曜日) 於:フェアトレード・ショップ・オゾン

2010年5月2日NYC(ニューヨーク・アメリカ)で、四万人のデモの隊列。「写真を撮るよ」と声をかけました。 そしたらこの笑顔!「後ろも撮って」とくるっと回って後ろの文字を見せてくれました。なんて書いてあるのかな。

正面の文字私は、日本を核攻撃しました。私と、そのほかの核兵器を所持している国は、今こそ核兵器を破壊する時です。核拡散防止条約の第6条と第7条があるではないですか。背中にはこう書いています。私は、武力で決着すること「戦争の支配」を愛しています。日本の戦争放棄の第9条「法の支配」のことを私に教えて、私を救ってください。このスタイルの時の彼の「私」とは、アンクルサム(アメリカ合衆国)のことです。

アンクル・サム(アメリカを擬人化している)を演じるオーバビー氏

オーバビーさんの思い出

2007年5月―6月、日本を講演旅行、名古屋、日本の各地でお会いしました。いくつかの印象を書き残しましょう。

1)核兵器と9条の関係を教えた

ヨーロッパ戦争が決着(1945年5月8日)して、国連憲章が1945年6月26日、採択された。しかし日本との戦争はまだ決着していなかった。ポツダム宣言が1945年7月26日、日本の無条件降伏を促した。そしてそのすぐ後、1945年8月6日広島に、さらに8月9日長崎に、アメリカは原子爆弾を投下した。その後日本は敗戦を受け入れた。

国連憲章はもう二度と悲惨な戦争を引き起こさないための誓いであった。日本国憲法も、もう二度と戦争をしないと決めたものだ。この二つのどこが違うのか。

国連憲章はまだ人類が核兵器の悲惨さを経験する前に文章化したものだった。日本国憲法は、核兵器の悲惨を知っているのだ。日本国憲法の先進性はまさに、ここにあるのだ。これがオーバビーさんの語ったことだった。彼の言葉で言えば「核の灰の中から、不死鳥のように生まれたのが9条」である。読めばわかるように、日本国憲法の9条は侵略戦争だけでなく、防衛戦争も認めていない。国家の命令で兵士が人殺しをしても、それは殺人罪に問わないのが、国家の交戦権である。これを否認している。「国の交戦権は、これを認めない」の言葉の意味だ。

9条は「核兵器の時代に、もはやどの戦争にも勝者はいない」という思想を表現している。

※関連して、日本の議論から引用―

『専守防衛』の自衛隊は軍隊ではない。9条があるかぎり、自衛隊員は人殺しを国家から命令されない。つまり国家が自衛隊員に敵を殺せよと命令できない。だから9条は自衛隊員を守っているといえる。

2)『戦争の支配』ではなく『法の支配』の時代を招来する9条を教えた。

背中のプラカードにあるように、オーバビーさんの根本の主張はこれだ。国家は戦争で決着しようとする。力の強い者が勝つのだ。戦争の勝者が世界を支配する。それが RULES OF WAR だ。だが、日本国憲法を見よ。憲法という国家の「法」が、国家に対して戦争を非合法としたのである。これこそが RULES OF LAW だ。ところで、2010年にはまだなかったからオーバビーさんは知らなかったのだが、日本国憲法の9条に引き続いていて、2017年に核禁条約という、さらに「法の支配」の時代を拓く新しい条約が始まった。

※写真にある2010年はNPT(核拡散防止条約の会議)があった。その条約では、現在核兵器を所有している国だけは所有を許すが、条約加盟国は、世界にこれを拡散しないことを約束するという内容である。わずかにその6条7条が廃棄への努力を促していた。NPTは核を持っている国が世界を支配した条約である。

核兵器禁止条約の時代が始まった。NPTの時代は終わったのだ

時代は動いている。2017年7月7日、昨年、国連は「核兵器禁止条約」を採択した(2017年7月7日)。時代は変化したのだ。核兵器を持たない国々が主導して、核兵器禁止条約(Nuclear Ban Treaty、もしくは、Treaty on Prohibision of Nuclear Weapons)を採択し、核兵器は違法であるとする条約が世界を動かし始めた。世界の国々はもう核兵器と共存したくないと声を上げた。核兵器は「違法な兵器である」と合意したので、今後その兵器を所有する国は外交上、弁解をする立場になる。「まだ持っているのですか?」「なぜ廃棄しないのですか?」と問われる立場だ。アメリカがこの条約を阻止する横槍を入れ続けたが、ついに成立した。

※戦争を非合法にしている国を一方的に攻撃するのは、国際赤十字の本部を爆撃するようなものだ。

「読書日記」のダグラス・ラミスから引用

しかし第九条はまだ一度も実践されていない。

1945年以来一貫して日本の「安全と生存」は、核の傘を含む米軍の保護のもとにあった。もし日本国民が政府に対して第九条を拘束力のある法として施行せよと迫るならば、それは自衛隊の撤廃、安保廃棄を意味し、世界中の国民は愕然として、全く新しいかたちの希望を与えられるに違いない。同じ目標の運動が他の諸国で出現するだろう。その時、日本が軍事攻撃から安全であろうとは誰も保証できない。国際政治に保障など何一つないのだ。しかし今に比べれば、つまり攻撃目標とされる米国の軍事基地を持つ現在よりは、確実に安全である。もし第九条が文字通り実行されるなら、日本に軍事攻撃をかけることは国際赤十字の本部を攻撃するよりも難しくなるだろうに違いないから。--引用終わり

戦争はどの戦争も「防衛戦争」として始まる。アメリカのイラク攻撃の時も米国内では『イラクが今にもアメリカを核攻撃する』という恐怖に国民を誘導し、やられる前にやるという、防衛戦争の論理で始まったことを思い出そう。イラクは核兵器を持っていなかったのに、嘘の情報で国策を決めたことが後に問題として検証された。「攻められる」という恐怖で「攻める」のが心理なのだ。

オーバビーさんは、いつも言っていた。「日本は9条の旗を誇らしく掲げ、戦争は違法であるのだよと宣言して、世界を指導してほしい」と。「それはアメリカには決してできないのだから。」と。

この主張に対して、お花畑な人、と批判する人々がいる。だが、その人たちは、本当は戦争を知らないのだ

軍隊にできることは、攻撃や反撃だけ。人々の命や生活を守ることはできない。勝っても負けても戦争は人々の生活を破壊する。軍隊は戦争を遂行するのが任務だ。国家を防衛するのである。敵と戦うのである。軍隊のいる場所は戦場になる。民衆の生活の防衛は彼らの任務ではないのだ。自民党の故野中さんがその昔、戦争法を阻止した時に、インタビューに答えて次のように述べていた。『私は戦争というものをよく知っている。自衛隊の諸君に国民に銃を向けさせることをしてはいけないのだ。』

沖縄の人はよく知っている。軍隊は住民を守らなかった。軍隊の任務は住民を守ることではないから当然だけど。沖縄戦の記録では、日本軍と行動を共にした村人の死亡率は大変高く、日本軍とは別行動を選択した部落の人は多く生き残ったことが明らかにされている。

3)アメリカとはどういう国であるかを教えてくれた

彼は自己紹介をした。『私の人生はアメリカという国家の申し子である。』モンタナの田舎で学校教育は十分に受けられなかった両親のもとに生まれた。空を飛びたいとあこがれ、唯一の道は空軍に志願することであった。訓練を受け、ヨーロッパ戦線に派遣された。そのご褒美で大学に行くことができた。次に朝鮮戦争が始まった。召集されたので応召するのは義務であった。そこでまさに実戦に参加した。沖縄の嘉手納基地からB29を操縦して中国東北部と、朝鮮の北部に爆撃をした。炎の下に何が起きているかを想像することはできなかった。下にいるのは「黄色いやつら」英語でgooks日本人も朝鮮人も中国人もベトナム人も、人間と動物の区別のない蔑称(グークス)。彼は空から爆弾を落としただけで地上の肉弾戦はやっていないが、それでも、心を病んでいた。従軍のご褒美で大学院に入学する。様々な奨学金にお世話になって、最初に工学部の博士号をとる。次に人文科学を専攻し、学際的な博士号を取得した。そのように研究に没頭して自分を癒した。今では自分のしたことは「戦争犯罪にあたる」と自覚している(ダムを破壊した)。いざその時が来れば自分は裁かれる身である。その心の準備はできていると言っていた。

※ところで沖縄の基地にいた彼(米兵の一人として沖縄にいた)は「日本にいた」認識はなかったそうだ。1980年代になって、中部大学の交換教授で日本に来ることになり、事前勉強のつもりで、オハイオ大学の市民講座に参加して「日本という国」を学んだ。そのとき日本国憲法についても教えられた。それが自分の人生を変えた。

アメリカは暴力の国である。アメリカ自身の課題がここにある。(2007年の憲法記念日のメッセージ)

③アメリカは軍事研究の国である。

アレン・ネルソンさんが「日本の子供は戦争を知らない美しい顔をしている。アメリカの子供たちは戦争を知っている。知り合いの誰かは戦争で死んだり傷ついたりしているのを見て知っている。」と言っていた。

4)オーバビー氏はアメリカの大学の工学部教授である

アメリカの大学の予算は、ペンタゴンと軍需産業から豊富に供給されている。軍需研究さえすれば、研究費はふんだんに手に入る。すべての人々は、軍需研究をしている。しかし彼は「自分は決して軍需研究はしない」と堅く心に決めていた。だから、金銭的には、あまり豊かではなかった。湾岸戦争(彼は石油をとりにいく戦争と規定していた)に反対して議員に立候補した時にも、それを理由に工学部長から金銭的な罰を受け、年金が削られたと話していた。軍需研究さえすれば生活は潤うのに、それを絶対に受け入れなかった。ところで彼は教授であるので、ゼミの学生の就職の世話をする。軍需産業に学生たちは就職をしていく。日本には平和産業がある。農業機械を製作する会社に世話をすることも可能だ。日本の先生方がうらやましいと言っていた。アメリカには就職先は軍需産業しかないのである。人生を人殺しの道具作りに捧げるのは、学生にその道しか示すことができないのは、苦しい。

5)オーバビーさんの工学博士としての研究業績

GTBD の提唱(地球をまもるGreen Technology by Design for dear Mother Earth)

製品を制作する際の最初の設計の段階で、自分の作品が地球資源をどのくらい消費するのか、その作品がどのくらい地球の環境を汚染するのか、そういった計算を含めて勘案して地球環境への負荷を最小限にするような作品作りを心掛ける技師を養成するための工学部教育を提唱。日本の自動車会社ではそのような設計の手順があるように見える。しかしアメリカには、その心は全くないのだ。

6)日本国憲法の第9条は、人類の英知であると、訴え続けた。

The World’s Greatest “Rule of Law” --
ARTICLE 9 of the Japanese Constitution

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.

世界でもっとも偉大なる「法の支配」
日本国憲法の第9条

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。

Dr. Chuck M Overby: オーバビーさんの思い出

アメリカ人は、自分のルーツを誰もが大事にしている。オーバビーさんのアイデンティティは、Norwegian。彼はノルウェーからの移民の子孫、ノルウェーのバイキングの末裔だと自己認識していた。家族で故郷を訪問したときに、彼がオスロで見たモニュメント。

「Jansson Woman Oslo 1973」家族とこの地を訪問したときに心を動かされ写真に収めた。

『洋子、このモニュメントは真実を表現している。男なんてちっぽけなものだよ。男に比べて、女性は、大きな存在なのだよ。本当に、その通りだ。』